2016年01月13日

マイケル・ブレッカーの命日に。

今日はジャズテナーのイノベイターである
マイケル・ブレッカーの命日である。

現代、ジャズテナーを志す者で
彼の影響を受けていないと言う人は
ほとんどいないであろう。
私も世代的にはフュージョンど真ん中世代より
少し後の世代だが、
ちょうど大学時代にブレッカーブラザーズが
再結成したというタイミングであったから
当然、ガチンコのマイケル信奉者である。

サークルに入って間もなく、
サキコロよりもマイルスよりも先に、
先輩に『Steps Ahead』のLive In Tokyoのビデオを
無理やり見せられ、すっかり洗脳されたクチだ。

それからFのブルースをやるよりも先に
Straphangin'のソロをコピーし、
出るはずも無いフラジオ(高音域)や
ワケのわからない替え指ばかり練習しするという
アホ丸出しの1年間の過ごしたのは
今となっては甘酸っぱい思い出だ。

思えば、彼の難易度の高いフィンガリングや
奥深い理論に裏打ちされたインプロヴィゼイションの
表面だけをなぞって悦に入るというのが
私の大学4年間だったように思う。

それほど彼の存在は大きかったのだ。
彼は私のアイドルであり、ヒーローであった。

大学を卒業し、紆余曲折を経て、
幸運にもサックス講師の仕事を始め、
独立し、今の教室が軌道に乗り始めた頃、
私の人生にとってスペシャルな事が起こった。

独立以前、2001年くらいだったか、
今では有名となったとある
リガチャー(留め金)製作者と
私は商品の試作を重ねていた。
その方はサックス奏者ではないので
私や私の師匠の意見を聞きながら
商品開発をしていたのである。

今だから言えるが、私の生徒さんは
『絶好のモニター』であった。
なぜなら、プロはどんなセッティングでもある程度
コントロールして吹いてしまう。
アマチュアほど道具の少しの違いで
出来る出来ないの違いが大きいからだ。

そんな事でそのリガチャーは
『アマチュアでも手軽に音色が変わり吹奏感が変わる』
という事で飛ぶように売れたのだ。

サックスと言う楽器はネジ1本で大きく変わる。
そのパーツのサイズや素材、メッキの種類を
私と私の師匠は幾度もテストを重ね、
様々なラインナップを開発するのに尽力した。
私はホームセンターで部品を買い漁ったり、
時には図面すら書いたのだ(笑)

そんなこんなで出来たこのリガチャーを
あのマイケルが来日中に試したいというオファーがあった。

製作者のK氏は私に選定を依頼した。
私は第1〜3まで3種類のオススメのタイプを選び、
それぞれ英訳のコメントをつけてK氏に託した。
1番のオススメはその時、在庫がなかった為、
私が使っていたモノをそのまま渡した。

結果は予想通り私が1番に勧めたものを
マイケルは選んびそのまま帰国した。
つまり、マイケルはその後、
私の『お下がり』を使ったことになるのだ。(超自慢!!!!)

話はそこで終らない。
2002年の夏、私の携帯に知らない番号から
着信が入る。

『シトウさんですか?
私はマイケル・ブレッカーのコーディネイターだが
マイケルさんが貴方に会いたいといっているので
東京ジャズに来て欲しい、なんなら招待するので』

私は丁度、東京ジャズ(第1回)のチケットを買っていたので

『もちろん行きますが、どうすればよいですか?』

と聞くと

『公演が終ったらまた電話するので待っていて欲しい』

と言われた。

先般のリガチャーの推薦状に
私は名前と携帯番号を書いておいたのだ。

私は胸躍る気持ちで私の生徒と東京ジャズに行った。
この日のステージはスペシャルで
ハンコック、ショーター、マイケルというラインアップである。
公演を聴くだけでも卒倒モノなのに、
その後マイケルと会ったら、
私は死んでしまうのではないかとさえ思った。

公演が終わり、聴衆がぞろぞろと帰途へ着くスタジアムの片隅で、
私は生徒さんとひたすら待った。

もう、終電が危うくなる頃、
私の携帯が鳴った。
『すみません、今日はウェインさんの誕生日で、ホテルでパーティーが行われるため、
マイケルさんはそちらに出席しなければならず今日かお会いできなくなりました』

私はウェイン・ショーターの誕生日を生涯味忘れないであろう。
posted by 網 渦男 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽に関するネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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