2016年01月14日

マイケル・ブレッカーとその後日談。

昨日の記事のその後の話を書いておこうと思います。

2002年の東京ジャズで叶わなかった
マイケルとの出会いはその年の秋の
『富士通コンコードジャズフェスティバル』
で新たな展開を向かえることになる。

リガチャー製作者のK氏から私に
マイケルから
「今度はオットーリンクのラバー用のリガチャーを選定して欲しい」
と連絡が入ったのでまたお願いしていいか?
と申し出があった。

私的にはまず
『マイケルがラバーのマウスピースを使うのか!』
というショックがあった。
彼のマウスピースはトレードマークとも言えるほど有名な
『メタル製のデイヴ・ガーデラ』だったからだ。
聞けばレコーディングではたまに使う事があるらしい。

私は当時のマイケルのアルバムの方向性から
『彼はコルトレーン的なサウンドを求めている』
と判断し、前回同様、3つのタイプのリガチャーをオススメした。

今回は直接会いたいと思い、K氏に
『私が直接説明したい』とお願いし、
『それでは予定が決まったら連絡する』
という事になり、私は連絡を待っていた。

何の連絡もないまま、
富士通コンコードジャズフェスティバルは終った。
私は仕事で会場にいけなかったが、
程なくしてK氏から
『シトウくんが1番に勧めたヤツ、マイケルは気に入って買っていったよ。』
と事後報告があった。

私が直接マイケルと会えるはずのチャンスは
マイケルとK氏との対談と言う形になって
後に某雑誌で目にすることになった。

そこにはそのリガチャーを褒めちぎるマイケルと
私が設計したストラップをマイケルにプレゼントするK氏の
写真が大きく掲載されていた(笑)。

ともかくもマイケルは私の選定したリガチャーを
2度も気に入ってくれたのだ。

ジャズを始めたと同時に、
憧れたマイケルは
私の大学時代の最大のモチベーションであった。

このリガチャーのおかげで
それに対するお礼が
出来たような気がするのだ。

ありがとう、ブルズアイ。
あ、言っちゃった!(笑)
posted by 網 渦男 at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽に関するネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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