2012年02月14日

第3回 音楽を学ぶということ。〜頑張っている人へのエールとして〜

『音』が『楽しい』と書いて『音楽』である。
こんな言葉誰が作ったのだろう?もしくは訳語であろうか?

昔の中国では音を出す為の道具を『楽』と言っていたらしい。
(要するに楽器)それがやがてその道具で演奏されるものを『楽』というようになったそうな。
(そういえば『猿楽』とかありましたね〜)

そしてさらに転じてその時の様子や感情を『楽しい』と
表現するようになったということだ。

やっぱり昔から楽しかったんですな。
ちなみに西洋でもやはり昔から『楽しい』ものというのは共通で、

『MUSIC』の語源もギリシャ神話にまで遡り、美と音楽の神『MUSE』に端を発する。
『MUSE』は7人の女神で父であるゼウスを称えるのに
音楽を奏でたり、踊ったりしたそうな。

まあ今でいうショーパブ?みたいなもんであろうか。(ちょっと違うかな)

でもって音を奏でたり、詩を詠んだりすることを
『MOUSIKE』と言うようになった。
それが後々『MUSIC』になっていくわけで、ひとを『楽しませる』、
または『楽しい時間を提供する』という意味の『AMUSE』も同じ語源である。

言うまでも無く《music salon A・MUSE》もこの『音楽』と
『楽しませる』の両義を取って、会員さんに本当に音楽を楽しんでもらい、
また他人をも楽しませるようなミュージシャンになって頂きたいと願いがあって
命名したのである。

まあ語呂もよかったし、『A』を頭に付ける事によって
「電話帳の前の方に載るんちゃうか?」
といういやらしい動機も無かった訳では無いが・・・。
(ちなみに電話帳にはカタカナでア・ミューズ ミュージックサロンと
語順もちゃっかり入れ替えて届けている)

話を『音楽』に戻そう。
私は演奏している方なので『楽しい音』というよりはむしろ
『音を楽しむ』と言う風に思っている。より正確に言えば思うようにしている

一言に『楽しむ』といっても幾つもの段階がある。
私が楽器を始めた中学生の頃は学校にブラスバンドが無かったので、
独学でただただ無茶苦茶に吹いていた気がする。
どの指で何の音が出るかも知らずに吹こうとしていたのだから、
ある意味

『向う所敵無し』

である。

頭の中だけはチェッカーズのナオユキ状態。
何とか音を探して吹けるようになったのが『ギザギザハートの子守唄』のイントロフレーズだった。

今となってはあの頃どんな指でどんな音を出していたかなど
無意識内で記憶から抹消されてしまったが、
今の自分が聴いたとしたら、卒倒モノであろう。

それでも楽しかったのだ。
レベルで言うと『音楽』をやっている気分、つもりレベルとでも言おうか。

その後高校のブラバンに入りクラリネットでクラッシックという
非常に似合わない音楽経験をするのだが、
ここで初めて音楽の奥深さを知ったように思う。

「気分、つもり」から一つ一つの音をどう表現するか?
と言う大きな課題に直面し、
思いどうり譜面を吹けるためのテクニックを磨こうと練習に励んだ。

譜面が吹けるようになる楽しさと、
それに何らかの表現を加えて演奏する楽しさである。
レベルで言えば『音学』といった感じであろうか。

大学に入り、ジャズと言う音楽に出合ったのはまさに衝撃であった。

先輩などが所謂ジャムセッションを毎日のようにやっているのであるが、
なにせ譜面なんぞ無いのである。

「紫藤も吹けよ」なんて軽く言ってくれるのであるが、
何を吹いたらいいか

さっぱり解らない。

意を決して飛び込んでみると、確実にバンドで浮きまくり、
まるで渋谷の交差点を全裸で歩かされているような辱めである。

「どうすればいいんですか」と先輩に涙目で聞くと
「お前が吹きたいように吹けばいいんだよ」と

真実ともテキトーとも取れる言葉
を頂戴し、

何日か悩んだ挙句たどり着いた結論は、
『何かを吹きたいと思っている自分自体がいねーわ。』
という致命的なものであった。愕然としたのである。

かなりア・プリオリな問題である。
プチ哲学というべきか?

-----自分は何故サックスを吹くのか?------

という問い。

中学生の頃ならば間違いなく、

女子にモテたいから

と即答したであろう。

しかし大学生ともなると
『アイデンティティー』
という単語を覚え始めているころだ。

登山家の箴言
『何故山に登るのか----そこに山があるからだ。』
なんてフレーズが脳みそに去来したりするのだが、
ゼンッゼン当てはまらんとカキ消しては悩む日々。

早くもジャズ人生挫折(第1回)といった感じだったが、
ある時ふと脳裏に

「有名なジャズマンは...一体どうやっているのだろう...。」
(森本レオの声で)

との疑問がよぎった。

すぐさまCDを買い漁っては聴きまくる日々が続いた。

そして、彼らの言葉が少しずつ理解できるようになり、
とりあえずはそれらを模倣(コピー)していった。
赤ん坊も模倣からしゃべるのだ。

何人もコピーしていくと、
吸収したもの、吸収したいけど出来ないもの、
したくないけどしちゃったもの、などで

どうやらなんとなく自分自身のボキャブラリー的なものが出来ていく。

それらがアドリヴの時に自然と引き出されてくる。考えて吹くこともあるが、
感じて吹いたりもする。
文章であったり、映像的なものであったり、感情であったりする。

そしてついにはバンドとして、ストーリーのある演奏ができあがる。-------

これを味わってしまうともうやめられないのである。
ジャズ中毒患者の出来上がりだ。
当然授業にも出ない。彼女はホッタラカシである。(気をつけよう)

それまでのレベルの『楽しさ』とは比較にならない充実感、感動である。
またそこにたどり着くまでには音楽だけに留まらず、
生き方、価値観にまで影響を与えるような貴重な経験をすることができた。

自分発見、自己啓発。

ちょっと大人になっちゃったかな?って感じである。
音楽に正面から向き合って学んでいくと必ずや、
それ以上の財産を手に入れると私は思っている。

生活一般に還元できるような何かを必ず得られるのだ。
ジレンマやスランプ、挫折しそうな時もあるかもしれない。

でもだからこそ、上達、否成長するのだと決めて、
決して『音が苦』にならず(上手い事言った?)、
地道にあせらずやりましょうと言いたい。

そんな人生自体が素晴らしいじゃないすか!と。
そういう経験こそが人に感動を与えうる音を生み出せるんじゃないか!と。

まあ気長に気楽にやりましょう!「人生楽ありゃ苦もあるさ」ですな。

                   -----今回はちょっとマジメ?------

                                                           つづく
posted by 網 渦男 at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | コラムの過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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