2012年02月14日

第6回 W・ショーターのライヴを見て考える事(考えさせられた事)

先日ウェイン・ショーター大先生のコンサートを見てきた。

前日まで体調を崩し、熱と下痢に苦しんでいたのだが、ショーターからショータイ券(ぷっ!)
を頂いたので無駄にするわけにもいかず、

「もう○ンコもれてもいいか!」
くらいの覚悟で行ってきたのであった。
実際彼のステージは素晴らしすぎた!
あんなステージだったら危篤でも行くべきだと思った。

現時点でのジャズという演奏形態の行き着くべきある種の形であろうか。



つまりベースが4ビートで刻んでドラムがチンチキとやってフロントがソロを…

という従来のフォーマットではない。皆が自由に即興を奏でつつ、

その根っこというかボトムにはしっかりと安定したビートとハーモニーが進行があり、

あたかも完全に作曲されているもののごとく曲が展開していく。

無駄な音など一切無いかのようなパーフェクトなサウンド。

あのメンバーじゃなきゃできないだろうなーという演奏であった。

所謂ジャズっぽいフレーズなんぞは一片も出てこない純粋音楽。

緊張感と開放感の絶妙なバランス。(感想だけでコラムが終わってしまう勢いだ。)



思えばショーターはWRいた頃から普通のソロプレイヤーとは違うスタンスで

演奏していたように思う。

ソロスペースでは自分のフレーズを紡ぎ連ねてソロを完結させるというよりも

その瞬間瞬間にバンドのサウンドとして必要な音、またサウンドを一変させるような音を

変幻自在に発信していくかのようなプレイである。

このスタンス、考え方はマイルスバンド<にいた頃に培われたものであろうか。

マイルスもトータルなサウンドというものを常に意識してプレイしているように思われる。

サイドマンとフロントという構図でなく、バンド全体が同じ権利と責任(自由ともいえるか)

を有しソリストが何らかの指標を提示し他のメンバーがそれに影響され化学反応が起こる。

マイルスやショーターの場合はバンドが変化するだけでなく他のメンバーの可能性さえも

引き出してしまうかのような指標を提示しているように思えるのである。



まるで師匠と弟子の関係のようである。本当の弟子とは師匠に言われた事をやるだけでなく、

師匠の見ている所を見つめ、師匠の考えている事を思考し、師匠のやっている(やってきた)

ことをやるというものであろう。ショーターもマイルスのよき弟子であったが故に、

マイルスの考えていた音楽というものをショーターなりの方法論で

いま展開しているのかも知れない。

それを実現可能にするメンバーというのがやっと(2001年に)

現れたということなのかも知れない。

マイルスもあの世で「よしよし」なんて思って聴いてるんだろうか?

 

追記 

あんなステージを見てしまうとツーファイヴフレーズなんぞを

しこしこ練習している自分は

「俺は一体なにやってんだろ?」と投げ出したくなる。



   が、千里の道も一歩から、

バップのかっこいい人のCD(主にエリアレ)を無理やりだしてきて

「カッコイイ〜」と自己暗示をかけて練習に励むのであった。



                              つづく
posted by 網 渦男 at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | コラムの過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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